Apple創始者 スティーブ・ジョブス 伝説の演説

昨日、Apple創始者 スティーブ・ジョブス氏が
56歳の若さでお亡くなりました。

近くの人ではないので、正直実感わかないのですが
ITに限らず様々な活躍をされていた方なので残念です。

賛否両論、好き嫌い、いろいろあると思いますが
多くの人に良くも悪くも影響を与えていたと言うのは
すごい人だったんだなーっと尊敬します。

彼の発した言葉ですばらしいなっと思ったのが

Stay hungry Stay foolish
(ハングリーであれ、バカであれ)

多少なりとも私も影響されているなぁと感じます。
お悔やみ申し上げます。

尊敬の意味をこめて、スティーブ・ジョブス 伝説の演説を
文章にしてみました。

Apple創始者 スティーブ・ジョブス 伝説の演説

元ネタ

Apple創始者・スティーヴ・ジョブスの伝説のスピーチ 1

Apple創始者・スティーヴ・ジョブスの伝説のスピーチ 2

2005/6/12
スタンフォード大学卒業式
世界最高峰の大学の卒業式に同席でき、とても光栄に思います。
実は私は大学を中退したので大学の卒業式に出席するのは
これがはじめてです。

本日は私の人生から3つの話をします。

大したこともないたった3つの話です。

最初の話は「点を繋げる」という話です。

私はReed大学を半年で中退したのですが、
正式に退学するまで18ヶ月学校内をうろついて
受講していました。

ではなぜ辞めたのか?

それは私が生まれる前に遡ります。
私の生みの母は未婚の大学院生で、
すでに養子に出す事を決めていました。

彼女は私を大学出の方が親になるべきと強く望んでおり
弁護士夫婦への引き取られる事が決まっていたのです。

もし私の生まれる直前になって彼らが女の子が欲しいと
決める事がなかったのなら・・・

そして夜中にリスト待ちしていた私の親の電話が鳴ったのです。
「予定外の男の子が居ますが、欲しいですか?」
両親は「もちろん」と答えました。

後ほど判ったのですが、
私の母親は大学中退で、父親は高校中退でした。

私の生みの母親は養子の書類へのサインを拒みましたが
大学に入れるという約束で折れました。

こうして私の人生はスタートしました。

17年後大学に行く事なりましたが
何も考えず学費の高い大学を選んだので両親の蓄えは
大学の授業料に費やされました。

半年経つと私は大学に価値を見出せなくなりました。
自分が何をしたいのかも、大学がその役に立つのかも
分からなかった。

そして私は両親の蓄えを垂れ流すだけだった。
だから退学を決めたんです。

全てがうまく行くと信じることにして。
その時はとても怖かった、
でも振り返ってみると最良の決断でした。

退学した瞬間から興味のない科目に出席する
必要がなくなったので面白そうな科目だけ
受け始めました。

全てロマンチックとは行きませんでした。
寮がないので友人の部屋の床で寝たり、
コーラの空き瓶を換金して5セント稼ぎ、
食べ物を買ったりしました。

毎週日曜日の夜は7マイル歩いてヒンズー教の寺院での
ご馳走にありつきました。

あれは良かった。

そして好奇心と直感に従って得た多くのものが
後になって貴重な価値あるものです。

一例を紹介しましょう。

当時Reed大学は国内で最高のカリグラフィ(装飾文字)教育を
行っていました。

キャンパスの全てのポスターやラベルまで美しいカリグラフィが
なされていました。

私は退学して必修の授業に出る必要もなく、技法を学ぶため
カリグラフィ・クラスに出る事にしました。

セリフやサンセルフ書体、字間の調整、素晴らしい
タイポグラフィなどを学びました。

それは美しく歴史的かつ芸術的に巧妙で
科学では捕らえられないものでした。

そして私は夢中になりました。

どれもが人生に何ら役に立ちそうもないものばかりです。

しかし10年後に最初のMacintoshをデザインする時に
全てが蘇ってきました。

そしてその全てをMacに組み込む事ができたのです。

それが美しいタイポグラフィ(活字)を
持った最初のコンピューターだったのです。

あのクラスに出ていなかったらMacの
複数フォントやプロポーショナルフォントは
搭載される事はなかった。

そしてWindowsはMacの単なるコピーだから
それらの機能を持つパソコンは無かった事なります。

退学していなければカリグラフィ・クラスに
出ていなかっただろうし、パソコンは
美しいタイポグラフィを持たなかったでしょう。

もちろん、大学時代に先を見て「点を繋げる」という事は不可能でした。
しかし10年後に振り返ってみると実にはっきりとしているのです。

繰り返します、
先を見て「点を繋げる」事はできないのです。

だから将来その点が繋がることを信じなければならない。
根性、運命、カルマ(業)何でもいいから信じる事。

点が繋がって道になると信じる事で心に確信が持てる。

たとえ人と違う道を歩む事になっても
それが人生の違いをもたらす。

自信を持って歩く事ができるのです。

2つ目の話は「愛と喪失」についてです。

私は幸運でした。若くして本当に好きな事を見つけました。
20歳の時に私はWOZと両親のガレージで
Appleを始めました。

10年間、懸命に働いてガレージで2人の会社が
社員4000人の20億ドルの企業に成長しました。

そしてMacintshという最高の製品を出した
一年後クビになりました。

どうしたら起業した会社でクビになるのでしょう。

会社が成長し共に運営する優秀な経営者を雇いました。
一年ほどは上手くいったんです。

しかしビジョンの相違から分裂する様になり取締役会が
彼の側に立ち30歳にして辞職したのです。

とても有名な辞職でした。

人生の焦点がなくなり破滅的でもありました。
数ヶ月は何をしたらいいのかわかりませんでした。

私は先人たちの期待に添えず渡された
バトンを落としたのだ感じました。

私はDavid PacardとBob Noyoeに会って
台無しにした事を詫びようとしました。

有名な落伍者となったので
シリコンバレーから去ることも考えました。

しかし私は少しずつ分かったのです。

これまでの自分の仕事をまだ好きだという事が。
Appleでの事件はその事を少しも変えなかった。
拒絶されても、なお、好きでした。

そしてまた始めてみようと決めたのです。
その時は分からなかったのですが、
Appleをクビになった事が最良の事だと分かったのです。

成功の重みが全てにおいて
再びビギナーの気軽さに変わりました。

この事が最もクリエイティブな人生へと導かれたのです。

5年間でNeXt社とPixer社を始め
妻となるすばらしい女性と恋に落ちました。

Pixerは”Toy story”という
世界初のコンピューター・アニメーション映画を作り、
今や世界でも最も成功しているアニメーション・スタジオです。

そして意外な事にAppleがNeXtを買収し
私はAppleに戻りました。

NeXtで開発した技術は現在のAppleの再生を支える事になりました。
そしてLoreneと私は素晴らしい家庭を作っています。

Appleをクビになっていなければ
こうはならなかったと断言できます。

ひどい味の薬でしたが私には必要だった。

人生はレンガで殴られるような事が起こる事があります。
信念を失ってはいけない。

私は自分のやった事を愛せたから続けてこられたのです。
皆さんも自分の好きな事を見つけなければならない。
それは仕事でも恋人でも同じです。

人生で仕事が大きなパートを占めてゆくだろうが、
本当に満足する唯一の方法は素晴らしいと信じる
仕事をする事です。

偉大な仕事をする唯一の方法は、
あなたのする仕事を愛する事です。

まだ見つかっていないのなら探し続ける事、
立ち止まらないでください。

その時はピンと来るもので、
あなたはの心は分かっているのです。

そして素晴らしい人間関係のように
年を重ねるごとに良くなっていきます。

だから見つかるまで探し続ける事、
立ち止まってはいけない。

3つ目は「死」についてです。

17歳の時、私はこんな文章に出会いました。

「一日一日を人生最後の日として生きよう。
いずれその日が本当にやって来る。」

強烈な印象を受けました。
そしてそれから33年間、毎朝、鏡を見て自問自答しました。

「今日が人生最後の日だとしたら、
今日やる事は本当にやりたい事だろうか?」

「NO」という答えが幾日も続いたら
私は何か変える必要があると気付くのです。

死を意識する事は人生において
大きな決断をする価値基準となる最も大切な事です。

何故ならなとんど全て、外部からの期待やプライド、
恥や失敗への恐れこれらは死によって
一切無くなるのです。

あなたが死を意識する事が失う事を
恐れない最も最良の方法なのです。

あなた達は既にありのままなのです。

思うがままに行動しない理由はないのです。
私は一年前に”癌”と診断されました。

朝7時30分にスキャンしたところ
膵臓に腫瘍がはっきりと写っていたのです。
私は膵臓が何かも知りませんでした。

医師達は言いました

「ほぼ間違いなく治療が不可能な癌で
余命は三ヶ月~六ヶ月でしょう。」

主治医は家に帰って仕事を片付ける様に言いました。

それは「死の準備をする様に」という意味の医師の言葉なのです。

つまり、子供達に伝えるべき今後10年間の事を
全て数ヶ月で伝えろという意味なのです。

家族がなるべく楽になるようにしっかり始末しなさいという事なのです。

家族に「さよならを告げなさい」という事なのです。
私は診断書を一日抱え過ごし、
夕方バイオプシー(生検)を受けました。

内視鏡はのどから胃腸に入り膵臓から腫瘍細胞を採取しました。

私は鎮静剤を服用していたのですが、そこに居た妻の話では、
医師達は顕微鏡で細胞を見た途端に叫びだしたそうです。

手術可能な極めて稀に見る膵臓癌だと判ったからです。
私は手術を受け今も元気です。

これまで私が最も死に直面した経験で
この先、何十年かは無い事を望んでいます。

この経験から死がただの概念だった頃より
私はより確信を持ってあなた達に言えます。

誰もが死を望みませんよね。

天国に行きたいという人さえその為に死のうとは思わない。
にも関わらず死は我々が共有する最終地点なのです。
誰もが逃れる事はできないのです。
そして、そうあるべきなのです。

死は生における最も優れた創造物なのだから。
それは生に変化を起こすもので古きものを
消し新しきものへの道を作るのです。

ここでの「新しきもの」とは君達です。
しかしそう遠くない未来に君達も古きものとなり消えてゆきます。

とてもドラマチックな言い方で申し訳ないのですが、
それは全くの事実なのです。

君達の時間は限られている。
だから無駄に誰かの人生を生きない事。
ドグマに捕らわれてはいけない。
それは他人の考えと共に生きるということだから。

他人の意見というノイズによって
あなた自身の内なる声、心、直感を
かき消されないようにしてください。

最も大事なことは、
あなたの心や直感に従う勇気を持つ事です。

それら内なる声、心、直感はどういう訳か
君達が本当は何になりたいのか既に知っているのです。

それ以外の事は二の次で良い。

私が若い頃「全地球カタログ」という驚くべき書籍があって
私の同世代のバイブルでした。

それはスチュワート・ブランドという人によって
この近くのメロパークで製作されました。

彼の詩的な作風が生き生き仕上がっていました。
60年代後半でパソコンも無く、全てタイプライターとはさみ、
ポラロイドカメラで作っていました。

Googleが誕生する35年前
Googleの文庫版と言えるもので
理念があり素晴らしいツールと偉大な概念で溢れていました。

スチュワート達は「全地球カタログ」何度か出版し
一通り終えると最終号を出しました。

70年代の中頃で私は君達と同じ年頃でした。
最終号の裏表紙は早朝の田舎道の写真でした。
冒険好きならヒッチハイクで見るだろう田舎道。

写真の下にはこんな言葉がありました。

Stay hungry  Stay foolish(ハングリーであれ、バカであれ)
それは彼らが残した別れのメッセージでした。

Stay hungry Stay foolish常に私自身そうありたと願っています。
そして今、卒業して新しい人生を始める君達にそうあってほしいと願います。

Stay hungry Stay foolish
(ハングリーであれ、バカであれ)

ご静聴ありがとうございました。
スティーブ・ジョブス

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