十牛図

十牛図

座禅を始めても、自分がどう変わっていくか
イメージがわかないかもしれないので、
十牛図を最初に知っておくとよいと思う。

十牛図とは、禅の悟りにいたる道筋を
牛を主題とした十枚の絵で表したもの。

牛は、「悟り」=「心のゆとり」を表す。

座禅を通して、
「心のゆとり」を得られるようになるまでの道しるべになる。

尋牛(じんぎゅう)
牛を捜そうと志すこと。
現状に疑問を抱く。第一歩を踏み出した状態。
「どうして自分はこんなに疲れているのか」「なぜ落ち着かないのか」と
問いかける。
これが、一歩「心のゆとり」に近づくことになる。

見跡(けんせき)
牛の足跡を見出すこと。
進むべき方向性が見えてきた状態。
ただ、本当に自分が進むべき道かどうか迷いも残している。

例えば、心の疲れに気づいて、「旅行に行く」などの
何らかのアクションを起こす。

見牛(けんぎゅう)
牛を見つけること。
本質には触れたが、まだ自分のものにしていない状態。
例えば、旅行をすれば心が落ち着きそうだ、などと気づいた状態。

得牛(とくぎゅう)
力づくで牛をつかまえること。
何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない状態。
知識としては得たが、心では理解できていない状態。

例えば、座禅をすると心が落ち着く、ということがわかったが、
実践すると周囲の音や雑念で、なかなか落ち着かない、という状態。

牧牛(ぼくぎゅう)
牛をてなづけること。
悟りを自分のものにしたが、継続性には不安が残る状態。

例えば、座禅を続けることで落ち着きやゆとりの心を
手にすることができるようになったが、油断して座禅をやめると
すぐにまた失われてしまう状態。

騎牛帰家(きぎゅうきか)
牛の背に乗り家へむかうこと。
悟りがようやく得られて、日常生活でもあるべき姿でいられる状態。

例えば、座禅をすることで得られる心のゆとりを、会社や自宅などの
日常生活でも発揮し、落ち着いた状態で問題に対処できる状態。

忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん)
家にもどり牛のことも忘れること。
日常のすべてをあるがままに受け入れていった結果、
悪いこだわりが消えてなくなる状態。

例えば、「仕事のセンスがない」などといった自分を縛る足かせをとき、
何事にもとらわれない自由な心でものを見ることができる状態。

人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)
すべてが忘れさられ、無に帰すること。
自分を意識しなくなる状態。悟りを得た修行者も
特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づいた状態。

例えば、仕事で問題があるとき、変な先入観などを持たず、
問題に全く関係のない立場で客観的に考えられる状態。

返本還源(へんぽんげんげん)
原初の自然の美しさに気づくこと。
すべてをあるがままに受け入れることが最も尊いことだと気づき、
それにより周りがよく見えるようになった状態。

例えば、周りからの評価ばかりを気にするなど、
自分のことばかり考えるのではなく、会社で自分は何をすべきか、
社会にどのように貢献できるのか、
といった広い観点でものごとを捉えられる状態。

入鄽垂手(にってんすいしゅ)
街に出て人に尽くすこと。
世の中をありのままに受け入れ、人生をかけがえのないものだと感じ、
毎日を丁寧に生きる
(=自分のことではなく相手のためを思って何かをする)状態。
人を導く状態。